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NY Life in Mar. 2017 ★ 無意識のバイアス&マイクロアグレッションという概念



今学期も、すでに半ば過ぎ。

授業は、日増しに濃く、厚く、深〜く深〜く。。。

春休みがなかったら、みんな息切れしちゃったかも。(実際、春休みの直前は体調を崩したクラスメイトが続出でした^^;)

まさに、ググッと核心に踏み込んできている感じです。


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どの授業でも、毎回のように繰り返し問われ続けるのは以下の2つ。

「自分のどこにBias(偏りや先入観)があるのか?」
「それを元に、自分がどれだけ様々なものを無意識に決めてかかっているか?」

これって、セラピストとしてだけでなく、一人の人間としてとても大事なこと。

でも、自分のバイアスに気づくって、なかなか難しいことなんです。


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先日のことです。

卒業生でプロのドラマセラピストとして活躍しているブリットが行ってくれたスライドを使ったワーク。

パパパッと5秒くらいで変わっていく様々な人のスライドを見ながら、その人について心に浮かんだ言葉を4つくらいずつ紙に書き込んでいくというもの。

「わあ、感じのいい人だなぁ。」
「笑顔がいいな」

そういった、自分に好印象だと感じられる人の写真が映されると、何も考えなくとも言葉が自然に出てくるのですが、、、

「なんか挑戦的だな。」
「なんで、こんなに怒りの表情をしているんだろう。」

あまり良くない印象を持つと、なぜか人は言葉が出てこなくなるんですね〜。

ジャッジせずに中立であろうと心がければ心がけるほど、表現がでない。。。

感情がストップするか、マイナスのベクトルに動いていきます。

そして、、、
スライドが終わったあと、ブリットから衝撃の事実が!!

なあんと、スライドの中の何人かは同一人物だったのです。わお!!!

クラスメイトの数人から「ダークで怖い」「麻薬のディーラーみたいな人だ。」と言われていた写真は、「汗をかいて労働していて、感じのいい青年」と同一人物。

「ふんわり笑っていて、上品で可愛い」というコメントが出ていた女性は、「挑戦的で、反抗的で、気分が不快になるよね。」と言われていた写真の女性と同一人物。

Oh, My God!!!

つまり、、、

私たちは、言葉をかわす前に、その人の外側からどれだけバイアスに決めてかかっているかということの象徴だよねとブリット。



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そのバイアスが引き起こすことの1つが、先日もこのブログに書いたMicroaggression(マイクロアグレッション)と呼ばれる「本人が無意識でおかしている差別行為や差別的な言動」です。


1「肌の色で君という人を見ているわけではないよ。」
2「人間は、外観よりも中身が大事だからね。」
3「結婚が決まったの?〇〇ちゃん、おめでとう。彼はどんな人?」


どうですか?
こういう言葉、聞いたことはないでしょうか?.
というか、よく耳にしますよね?

これ、実は全て差別用語・マイクロアグレッションなんです。

1は、俗にColor blindness(カラーブラインドネス:自分は人種の違いなど感じていない)と呼ばれています。

つまり、裏に隠れた真実の意味は「人種差別も存在しない」と、現実に起きている問題を否定しているというわけ。

子供だって、外見を見たら、肌の色の違いがあるのはハッキリとわかること。

それなのに、それを否定したら、今の現実はないってことになりませんか?

それでは、いつまでたっても問題は残ったまま。
ぜんぜん何にも解決にはならないんですね。

だから否定するのではなく、現実を肯定すること。

その上で、違いは互いの個性の1つにしかすぎないとすること。その上で、人間関係を築いていこうとする考え方を持つことが大事なんですね。

2つ目のものはBody Politics(ボディポリティクス:体つきの差異から生まれる差別意識)と呼ばれています。

そもそも、なんで、そういう言い方が口から出るのか?ということです。

そこには、厳然とした「理想的な体型とは」とか、「この体型の人は、こういうタイプだろう」とか、バイアスがあるわけです。

だから、そういった発言が生まれるというわけ。


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私も「日本人なのに英語がうまいね。」と言われたことがあります。

ご本人は褒めてくれたつもりなんですね。

が、裏を返せば、、、「日本人は英語はあまりうまくない」という意識が潜んでいるということ。

さらに、「クリスマス休暇をいつからとるの?」といった表現も、「お正月休みをいつとるの?」といった表現も、マイクロアグレッションです。

つまり、、、

自分が持っている文化基準(または宗教基準)で、相手もそれが当たり前だとする無意識の思い込みで質問しているからです。

これは、相手の文化や宗教感を無視しているということ。
相手に失礼な行為だと思いませんか。

イタリア人で仏教徒の男性だっているかもしれません。

日本人でヒンドゥー教徒の人もいるかもしれません。

それらを考える余地がないくらい、自分がどれだけ無意識にバイアスでいるかに気づくことは大事だなぁと思います。

3つ目のものは、Heterosexist(へテロセクシスト:異性間の恋愛しか頭にない)と呼ばれています。

彼女の結婚相手が「彼(肉体的にも精神的にも)」であるとは限らないんです。

ようするに、無意識にある、結婚相手=異性というバイアスから出ている発言ということ。

しかも、日常的にこういったことが平気で言われているということは、、、

裏を返せば、私たちが無意識に持っている「大多数が持っている考えが正当だ。当たり前だ。」というバイアスがどれだけ大きいか?ということですよね。


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Cross Cultural Understanding(異文化論理解)の授業では、いろいろなゲストスピーカーをリジー(教授)が呼んでくれ、そのメンバーとのディスカッションが続いています。

先日来てくれたのは以下の4名。


●メキシコ生まれ、メキシコ育ちのユダヤ教徒の女性。

●アジア系アメリカンで、カソリックの家庭に育ったレズビアンの女性。

●スリランカ生まれでオーストラリア育ちの、カソリック教徒の女性。

●カリフォルニア生まれの、プロテスタント教徒の家庭に育った白人のゲイの男性。


それぞれの個人的な体験談を交えながら、この日のテーマ「宗教&スピリチュアリティーと個人との関わり」について語ってくれました。

・宗教的な教義と自分の現実とのせめぎ合いで苦しかったこと、
・どう両者の折り合いをつけて生きてきたのかというプロセス、
・宗教とは自分にとって何なのか?
・スピリチュアリティーとは自分にとって何なのか?
・家族との関係性・葛藤や対立
・周りの目・社会の目・自分の良心とのせめぎあいと精神性

個人的にとても興味深いテーマだったので、私も突っ込んだ質問をいくつかしました。

率直に自分の真実を語ってくれる言葉って、ストレートに響きます。


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「セラピストになった時、あなたたちの前に座るのは、どういう人なのか。
そこにバイアスを挟まないで。いい?そのままの、その人を見るの。
あなたの思い込みは捨てなさい。」

ドラマセラピー学科の大学院生を教え続けて15年というサラ(教授)は、何度も繰り返し口にします。

サラの授業の一環で、先日訪れたベルビュー病院でのドラマセラピーの現場視察は、強烈でした。

巨大な救急病院であるベルビュー病院の18階から21階までが、すべて精神病棟です。

その中でドラマセラピーを指導し続けているアランの監督のもと、私たちは3人1組で参加。


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この日のグループワークは、思春期の子供たち10人でした。

トランスジェンダー(肉体的な性と心の性が違う人)の子もいれば、パーソナリティ障害と診断されている子もいます。

この日のメインテーマは家族。

ウォーミングアップのワークをいくつか行ったあと、メインのワークに入りました。

今日は「理想的な家族」「普通の家族」「最悪の家族」という3つの家族をみんなで演じるよ!とアランが発言すると、みんな「Yeah!!!」と大歓声!!

みんな積極的に「ぼくは〇〇役!」「私は〇〇役!」と名乗りでます。

印象的だったのは、なぜか全ての家族が大家族+ペットという構成だったこと。

実際の家族の形態は、核家族がほとんど(または一人親だったり)というNYですが、、、

子供たちが演じるのは、おじいちゃんも、おばあちゃんも、きょうだいも、犬(猫)もいて、、、という大家族だったんですね。

彼らの中に、「これが家族だ」という雛形があるんだな〜と感じました。

役に名乗り出ず、だまっている子には、「そのままでいいよ」とアラン。

では、その子は何も役がないかというと、、、

その子は「観客」という役柄でドラマに参加しているんです(^^)


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この日みんなが一番ノリノリで楽しんだのは「最悪の家族」!

やってはいけないこと(人をキックするとか、物を投げるとか)のルールは、あらかじめアランが皆に約束させていました。

が、それにしても、かなりの興奮ぶり。タブーとされる言動の連発。
もう、大爆笑の渦!

悪いことだから言ってはだめ!とか、
教育的に良くないことを演じていいの?とか、

そういう声もあるかもしれませんが、、、

劇だから、許せることっていっぱいあるんです。

劇だからこそ、思い切り悪役になれるんです。

役の中にいる自分だからこそ、ふだんは言い出せない本音を、思い切って吐き出せるんです。

そうやって演じていく中で、何か大きな塊が溶けていったりするんですね。



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最後に、一人一人が今日感じたことをシェアしていく中で、一番あかるくて生き生きと動いていた女の子が、こう言いました。

「アラン。今日は久しぶりに参加したから、ドキドキしたけれど、入っていいよって言ってもらって嬉しかった。」

「私はドラマセラピーをやって、まだ一年半だけれど、、、
あなたみたいに、大事なことを、お説教じゃなく私に教えてくれた大人は初めて。
私の周りにはいなかった。
ありがとう。アラン。」

彼女の言葉には強い響きがあり、、、

ずっと彼女が放っていた、奇妙なくらいの明るさとハイテンションな振る舞いの奥にあるものに触れたような気がして、ハッとしました。

アランは黙ってうなずいて、彼女とハイタッチ!

そして、一人一人と挨拶を交わしながら、この日のメニューは終了しました。

その後、部屋を移ってから、アランが私たちに話してくれた話は強烈でした。

彼女は実は12歳から売春婦をやらされていたこと。
ここにきたときは、心身ともに危機的な状態だったこと。
深刻なトラウマが、いろんな発作を引き起こしていること。

「彼女は明るくて、発言も活発で、一見普通の元気な女の子に見えるかもしれない。
でも、彼女が自殺を試みないとは限らないんだ。
だからこそ、この部屋のまわりにも、いたるところにカメラがあり、鍵がついているんだよ。
精神科でドラマセラピーを行っていくということは、そういうことなんだ。」



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最近の話をツラツラ書いていたら、、、

あららら、またもやロングバージョン!

授業の話を、もうちょっと書こうかなと思っていたけれど、、、

長すぎちゃうので、また機会を見て次回に。

今週も、どっぷり深い一週間になりそうです。



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by Dorothy-Naomi | 2017-03-28 13:44 | *Drama Therapy | Comments(0)

NY Life in Feb. 2017★春学期の授業&マイクロアグレッションという概念




今回は、少しまじめにドラマセラピーの授業の話を書いてみようかな。

ドラマセラピーは心理療法の1つなので、今学期はカウンセリングやDSM5と言われる精神疾患の分類と診断についても学んでいる最中。

今学期、私がとっているのは以下の4つです。


●Advanced Role Theory and Role Method (ロール理論上級編と実践方法)

Cross Cultural Understanding (クロスカルチャー文化の理解)

Individual Counseling (個人カウンセリング・ラボでのワークを含む)

Drama Therapy for Clinical Populations ( 精神医療目的のドラマセラピー)


アドバンスロール理論は、ロバートランディ教授のNYUでの最後の授業科目。

3月上旬までの限定科目なので、受講生として入れたのは本当にラッキーでした。

ロバートは、人間はあらゆる役柄を内側にあわせもっている存在で、人格とは役柄の総称だと述べています。

日本人として、女性として、アカシックリーダーとして、教師として、母として、妻として、娘として、学生として、

私一人の中にも、様々な「役」が生きています。

ロバートに言わせると「本当の自分とは?」とか「本当の自分になれ!」とか、そういうものはナンセンスだとのこと。

そもそも「本当の自分」というものはなく、その時々に応じて自分の中から出てくる役が「すべて自分」だとのこと。

しかし、あまりに長く、しかも無意識に、1つの役だけをとりすぎていると、人は他の役になれる可能性を忘れてしまうとのこと。

ドラマセラピストの役目の1つは、ずっと1つの役をやり続けている人に対して、何の役にでもなれるのだという可能性を与えていくことなのだと彼は述べています。

さらに、「ヒーローズジャーニー(主人公の旅)」というメソッドを、いろんな角度で授業では掘り下げて実践しています。

ロバートのNYUでの引退前の最後の授業とあって、このクラスは大学院生だけでなく、プロとして活躍しているドラマセラピストたちも幾人も参加しています。

彼の理論を学びたくてNYUに留学をきめた私にとって、この授業は一言も聴き漏らしたくない大事な時間。

毎回毎回、すごく刺激的で、貴重な体験を得ている時間です。



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今学期はチェコから短期留学しているヤコブも、私たちの同期生として参加!

彼との意見交換も、チェコでのロール理論の実践の話もワクワクもの。

去年訪れたチェコが素晴らしかったこと、マリオネットの歴史的な背景と使用目的が日本とは違い、とても印象的だったことなどを伝えると、目を細めてにっこり〜。

マリオネットやパペットが、どうやってドラマセラピーとコラボしながら医療現場で使われているかという話を、たくさんしてくれました。

彼とは更に突っ込んで、いろんな話がしたいな〜と思っています。


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今、4つの授業を深く学ぶ上で、私が何よりも必要だと感じているのは、クロス・カルチャーやマルチ・カルチャーと言われる部分です。

インターセクショナリティという言葉を聞いたことがあるでしょうか?

これはアメリカの Crenshaw博士が1989年に発表したコンセプト。

クレンショウ博士はTED Talkにも登場し、このコンセプトを話しているので聞いたことのある人もいるかもしれませんね。

直訳すると「その人のたっている交差点」。

一人一人が立っている交差点は、隣の人とは全く違うもの。

他の誰かの前例になぞらえて処理すべきではないということを、彼女は特に黒人女性の視点を元にして述べています。



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例えば、ある女性が警官に暴行を受けて死亡してしまったという事件が起こったとして、、、

同じように、ある男性が警官に暴行を受けて死亡してしまったという事件も起こったとした場合、、、

同じように新聞に掲載されたとしても、なぜか人々の記憶に残るのは男性の死亡事故だという実験を彼女は行っています。

では、これは意識下にある性差別からくるものだけでしょうか?

さらに、その女性がアフリカンアメリカンだったとすると、白人の女性よりも更に問題は複雑です。

では、人種への差別からくるものでしょうか?

その事件が起きた場所が都会ではなく、郊外だったとしたら、その地域社会の集合意識が加わってきます。歴史的な背景も絡んできます。

そのうえ、その女性がキリスト教徒の中で特別な宗派だったとしたら?

その宗教に対する人々の意識も絡んできます。

彼女が養育院で育てられたという生い立ちを持って、工場で働いていたら?

そこに、階級意識なども絡んでくるでしょう。

もっと言えば、彼女には女性のパートナーがいて精神的にも肉体的にも恋愛関係にあり、同棲していたら?

ジェンダーへの差別という問題が浮かび上がってきます。



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つまり、個人個人の抱えているバックグラウンドは非常に複雑なんですね。


この場合、彼女が立っている人生の交差点というのは、何本もの道がクロスしている交差点ということになります。

女性という道を走っている救急車はフェミニズムという怪我(問題)には強くても、そこだけでは彼女の持っている怪我は治りません。

人種という道からくる救急車も人種差別という怪我には強くても、それでは地域社会の意識や階級意識からくる問題は解決しません。

つまり、彼女の「問題」を救うためには、クロスしたすべての道を考慮に入れた上で、そこに最適な救急車というのを送らなくては意味がないのです。


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また、更にMicroaggression(マイクロアグレッション)という部分についても、ディスカッションする機会が増えてきました。

マイクロアグレッションというのは、無意識に他人が発信している言葉や行動から受ける差別被害のことです。


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妹が滞在中に二人で一緒にみた、ドラマセラピー学科の有志による上演、セラピューティックシアター形式の「Power & Privilege」(力と優越意識)という劇もマイクロアグレッションがテーマの1つでした。

白人の男の子が、黒人クラスメイトとベンチで一緒にランチを食べているシーン。

白人少年は無邪気にこう尋ねます。

「ねえねえ、大人になったら何になるの?
バスケの選手?それともヤクの売人?」

さらに黒人の少年の父親は、テレビにも出ている成功している役者にもかかわらず、タクシー運転手に無視されてしまいます。

やっときたタクシーは後からきた白人男性を乗せてしまいます。

彼が文句を言うと、タクシーの選手は一言。

「深夜の道は暗いからな。あんた、黒いから立っているのが見えないんだよ。」

共通しているのは、発言している側には罪の意識がほぼないこと。

そして、言われた側は、相手に罪の意識がないことがわかるからこそ、深く傷ついているのだということ。

日本の社会でも同様の経験はないですか?

あえて言葉に出して議論されていなかっただけで、アメリカに限らず、どこの国でも行なわれていることだろうなと私は感じます。

とても奇妙なことに、みんななぜか水面下においたままにして、あえて上にだして議論してこなかっただけなんですよね。



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先日のクロスカルチャーの授業では、小さなグループに分かれ、人生の中で感じてきたマイクロアグレッション体験ついて話し合いをしました。

その後、メンバーの1つの体験を選び、それをグループごとに短い劇として発表していく流れで授業は進みました。

印象的だったのは、小学校でのマクロアグレッション体験を演じたグループ。

子供達が腕まくりをして、並んで絵を描いているシーンからスタートしました。

「Aちゃん、毛がもしゃもしゃだね。何でそんなに毛深いの?ゴリラみたい!」

「なんで髪が黒くってチリチリなの?お家が火事になったの?」

さらに、その子が帰宅して母親に訴えるシーンでは、母親役はこう言いました。

「いっぱい毛があるから、あったかくって便利だよ。体を守ってくれているんだよ。そう言ってあげなさい。」

上演後は、みんなで丸くなってディスカッション。
次々に意見が飛び出し、私も感じたことを率直に口に出しました。

まず、一番感じたことは、、、

子供より前に、まず、親の意識がすでにマイクロアグレッッションを受け入れてしまっているのだなということ。

長い間、おそらく親も社会からマイクロアグレッションを受け続けていて、それが子供への発言にも出ているのだなということ。

もしも民族や自分の出自にプライドをもっているのであれば、「何々人は、みんなこういう外的容姿なのよ。」と子どもに伝えることもできるはず。

それが、いいとか、悪いとかではなく、 

「それが周りの社会なのだ」「通常の社会ではこれが正しくて、私たちは外れているのだ」という意識を内側に取り込んでいくプロセスは、非常に幼いうちから無意識に進んでいくのだなということ。

私の意見のあと、アメリカ人男性のクラスメイトが、こう言いました。

「一体、誰がいつ、白人の意識が一番偉いんだ。それがまかり通るのが常識だ!と、決めつけてしまったんだ?!」

「家では、こういった問題を言葉にすることは暗黙のうちにタブーとされていた。」

白人としてアメリカで生きてきた女性のクラスメイトたちの多くが、こう言っていたのも正直おどろきでした。



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マイクロアグレッションは無意識下からくる発言や行動。

「無意識にやっちゃうんじゃしょうがないじゃない。」で片付けるのではなく、そういった概念があるのだと知っていること、意識していることが大事なのです。

その意識を持っているかどうかで、人の発言や行動は変わってくるはず。

その意識を持ち続けていることは、特にセラピストを目指している私たちには、何より最重要事項だろうと私は思っています。



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とてもユニークにドラマを取り入れている授業は、クリニカル・ポピュレーションという授業。

授業がスタートする前の冬休みに、1人1つずつ演劇作品を与えられました。

教授の指示は、その作品の主人公のモノローグを1つとりあげて、暗記してくることというもの。

私に与えられたのは「Miss Margarida's Way」という作品。

全編がすべて彼女のモノローグの一人芝居です。

マルガリーダは、小学校の教師で独身の白人女性。

彼女は、とても威圧的で、独断と偏見に満ち、一方でとても官能的。

生徒たちに向かって、彼女独自の社会観と世界観を語って聞かせます。

私は彼女の台詞の中で、すごくインパクトのあった「分数と社会の原理」というモノローグを選んでパフォーマンスしました。

それぞれのパフォーマンスが終わった後、教授がおもむろに一言。

「今から、あなたたちの専属セラピスト名を告げます。」

?????

なんと、目の前で演じた役柄を「一人の患者」として捉え、その患者の専属のセラピストとして様々な見地からセラピーの進め方を探っていくとのこと。

マルガリーダ(としての私)のセラピストは、クラスメイトの一人、アターラ。

私のクライアントは、レジーナ(としてのアニー)です。


「ナオミのクライアントは誰?レジーナ?私のクライアントはハムレットよ。」

そんな会話が飛び交い、端から見ていると「?!」という感じだったかも〜

とにかく、セラピストとしての私は、クライアントとペアを組んでインタビューやセッションをしながら、DSM−5と言われる、精神疾患の分類と手引書を片手に診断書類を作成。

一方、クライアントとしての私は、マルガリーダの役柄でセラピストのセッションを受けながら診断されます。

昨日の授業では、セラピストして、患者の中に潜んでいるもの、どんな役柄が潜んでいるかを書き出し、それに基づいてスカルプティング(体で彫刻のように表現していく手法)で表していくことを行いました。

それが、セラピーセッションが進んでいくうちに、今学期どう変化していくのかを見ていくのも興味深いです。




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来月には、マンハッタンの病院で行なわれているドラマセラピーの現場に、オブザーバーとして入ります。

様々なバックグラウンドを持った人々が集まるNY.

いろんな視点と意識を持ちながら、私はどう深く人と関わっていけるドラマセラピストになれるだろう?

新しい出会いと体験を前に、ドキドキしている毎日です。




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by Dorothy-Naomi | 2017-02-19 05:31 | *Drama Therapy | Comments(0)