今回は、少しまじめにドラマセラピーの授業の話を書いてみようかな。 ドラマセラピーは心理療法の1つなので、今学期はカウンセリングやDSM5と言われる精神疾患の分類と診断についても学んでいる最中。 今学期、私がとっているのは以下の4つです。 ●Advanced Role Theory and Role Method (ロール理論上級編と実践方法) ● Cross Cultural Understanding (クロスカルチャー文化の理解) ● Individual Counseling (個人カウンセリング・ラボでのワークを含む) ● Drama Therapy for Clinical Populations ( 精神医療目的のドラマセラピー) アドバンスロール理論は、ロバートランディ教授のNYUでの最後の授業科目。 3月上旬までの限定科目なので、受講生として入れたのは本当にラッキーでした。 ロバートは、人間はあらゆる役柄を内側にあわせもっている存在で、人格とは役柄の総称だと述べています。 日本人として、女性として、アカシックリーダーとして、教師として、母として、妻として、娘として、学生として、 私一人の中にも、様々な「役」が生きています。 ロバートに言わせると「本当の自分とは?」とか「本当の自分になれ!」とか、そういうものはナンセンスだとのこと。 そもそも「本当の自分」というものはなく、その時々に応じて自分の中から出てくる役が「すべて自分」だとのこと。 しかし、あまりに長く、しかも無意識に、1つの役だけをとりすぎていると、人は他の役になれる可能性を忘れてしまうとのこと。 ドラマセラピストの役目の1つは、ずっと1つの役をやり続けている人に対して、何の役にでもなれるのだという可能性を与えていくことなのだと彼は述べています。 さらに、「ヒーローズジャーニー(主人公の旅)」というメソッドを、いろんな角度で授業では掘り下げて実践しています。 ロバートのNYUでの引退前の最後の授業とあって、このクラスは大学院生だけでなく、プロとして活躍しているドラマセラピストたちも幾人も参加しています。 彼の理論を学びたくてNYUに留学をきめた私にとって、この授業は一言も聴き漏らしたくない大事な時間。 毎回毎回、すごく刺激的で、貴重な体験を得ている時間です。 今学期はチェコから短期留学しているヤコブも、私たちの同期生として参加! 彼との意見交換も、チェコでのロール理論の実践の話もワクワクもの。 去年訪れたチェコが素晴らしかったこと、マリオネットの歴史的な背景と使用目的が日本とは違い、とても印象的だったことなどを伝えると、目を細めてにっこり〜。 マリオネットやパペットが、どうやってドラマセラピーとコラボしながら医療現場で使われているかという話を、たくさんしてくれました。 彼とは更に突っ込んで、いろんな話がしたいな〜と思っています。 今、4つの授業を深く学ぶ上で、私が何よりも必要だと感じているのは、クロス・カルチャーやマルチ・カルチャーと言われる部分です。 インターセクショナリティという言葉を聞いたことがあるでしょうか? これはアメリカの Crenshaw博士が1989年に発表したコンセプト。 クレンショウ博士はTED Talkにも登場し、このコンセプトを話しているので聞いたことのある人もいるかもしれませんね。 直訳すると「その人のたっている交差点」。 一人一人が立っている交差点は、隣の人とは全く違うもの。 他の誰かの前例になぞらえて処理すべきではないということを、彼女は特に黒人女性の視点を元にして述べています。 例えば、ある女性が警官に暴行を受けて死亡してしまったという事件が起こったとして、、、 同じように、ある男性が警官に暴行を受けて死亡してしまったという事件も起こったとした場合、、、 同じように新聞に掲載されたとしても、なぜか人々の記憶に残るのは男性の死亡事故だという実験を彼女は行っています。 では、これは意識下にある性差別からくるものだけでしょうか? さらに、その女性がアフリカンアメリカンだったとすると、白人の女性よりも更に問題は複雑です。 では、人種への差別からくるものでしょうか? その事件が起きた場所が都会ではなく、郊外だったとしたら、その地域社会の集合意識が加わってきます。歴史的な背景も絡んできます。 そのうえ、その女性がキリスト教徒の中で特別な宗派だったとしたら? その宗教に対する人々の意識も絡んできます。 彼女が養育院で育てられたという生い立ちを持って、工場で働いていたら? そこに、階級意識なども絡んでくるでしょう。 もっと言えば、彼女には女性のパートナーがいて精神的にも肉体的にも恋愛関係にあり、同棲していたら? ジェンダーへの差別という問題が浮かび上がってきます。 つまり、個人個人の抱えているバックグラウンドは非常に複雑なんですね。 この場合、彼女が立っている人生の交差点というのは、何本もの道がクロスしている交差点ということになります。 女性という道を走っている救急車はフェミニズムという怪我(問題)には強くても、そこだけでは彼女の持っている怪我は治りません。 人種という道からくる救急車も人種差別という怪我には強くても、それでは地域社会の意識や階級意識からくる問題は解決しません。 つまり、彼女の「問題」を救うためには、クロスしたすべての道を考慮に入れた上で、そこに最適な救急車というのを送らなくては意味がないのです。 また、更にMicroaggression(マイクロアグレッション)という部分についても、ディスカッションする機会が増えてきました。 マイクロアグレッションというのは、無意識に他人が発信している言葉や行動から受ける差別被害のことです。 妹が滞在中に二人で一緒にみた、ドラマセラピー学科の有志による上演、セラピューティックシアター形式の「Power & Privilege」(力と優越意識)という劇もマイクロアグレッションがテーマの1つでした。 白人の男の子が、黒人クラスメイトとベンチで一緒にランチを食べているシーン。 白人少年は無邪気にこう尋ねます。 「ねえねえ、大人になったら何になるの? バスケの選手?それともヤクの売人?」 さらに黒人の少年の父親は、テレビにも出ている成功している役者にもかかわらず、タクシー運転手に無視されてしまいます。 やっときたタクシーは後からきた白人男性を乗せてしまいます。 彼が文句を言うと、タクシーの選手は一言。 「深夜の道は暗いからな。あんた、黒いから立っているのが見えないんだよ。」 共通しているのは、発言している側には罪の意識がほぼないこと。 そして、言われた側は、相手に罪の意識がないことがわかるからこそ、深く傷ついているのだということ。 日本の社会でも同様の経験はないですか? あえて言葉に出して議論されていなかっただけで、アメリカに限らず、どこの国でも行なわれていることだろうなと私は感じます。 とても奇妙なことに、みんななぜか水面下においたままにして、あえて上にだして議論してこなかっただけなんですよね。 先日のクロスカルチャーの授業では、小さなグループに分かれ、人生の中で感じてきたマイクロアグレッション体験ついて話し合いをしました。 その後、メンバーの1つの体験を選び、それをグループごとに短い劇として発表していく流れで授業は進みました。 印象的だったのは、小学校でのマクロアグレッション体験を演じたグループ。 子供達が腕まくりをして、並んで絵を描いているシーンからスタートしました。 「Aちゃん、毛がもしゃもしゃだね。何でそんなに毛深いの?ゴリラみたい!」 「なんで髪が黒くってチリチリなの?お家が火事になったの?」 さらに、その子が帰宅して母親に訴えるシーンでは、母親役はこう言いました。 「いっぱい毛があるから、あったかくって便利だよ。体を守ってくれているんだよ。そう言ってあげなさい。」 上演後は、みんなで丸くなってディスカッション。 次々に意見が飛び出し、私も感じたことを率直に口に出しました。 まず、一番感じたことは、、、 子供より前に、まず、親の意識がすでにマイクロアグレッッションを受け入れてしまっているのだなということ。 長い間、おそらく親も社会からマイクロアグレッションを受け続けていて、それが子供への発言にも出ているのだなということ。 もしも民族や自分の出自にプライドをもっているのであれば、「何々人は、みんなこういう外的容姿なのよ。」と子どもに伝えることもできるはず。 それが、いいとか、悪いとかではなく、 「それが周りの社会なのだ」「通常の社会ではこれが正しくて、私たちは外れているのだ」という意識を内側に取り込んでいくプロセスは、非常に幼いうちから無意識に進んでいくのだなということ。 私の意見のあと、アメリカ人男性のクラスメイトが、こう言いました。 「一体、誰がいつ、白人の意識が一番偉いんだ。それがまかり通るのが常識だ!と、決めつけてしまったんだ?!」 「家では、こういった問題を言葉にすることは暗黙のうちにタブーとされていた。」 白人としてアメリカで生きてきた女性のクラスメイトたちの多くが、こう言っていたのも正直おどろきでした。 マイクロアグレッションは無意識下からくる発言や行動。 「無意識にやっちゃうんじゃしょうがないじゃない。」で片付けるのではなく、そういった概念があるのだと知っていること、意識していることが大事なのです。 その意識を持っているかどうかで、人の発言や行動は変わってくるはず。 その意識を持ち続けていることは、特にセラピストを目指している私たちには、何より最重要事項だろうと私は思っています。 とてもユニークにドラマを取り入れている授業は、クリニカル・ポピュレーションという授業。 授業がスタートする前の冬休みに、1人1つずつ演劇作品を与えられました。 教授の指示は、その作品の主人公のモノローグを1つとりあげて、暗記してくることというもの。 私に与えられたのは「Miss Margarida's Way」という作品。 全編がすべて彼女のモノローグの一人芝居です。 マルガリーダは、小学校の教師で独身の白人女性。 彼女は、とても威圧的で、独断と偏見に満ち、一方でとても官能的。 生徒たちに向かって、彼女独自の社会観と世界観を語って聞かせます。 私は彼女の台詞の中で、すごくインパクトのあった「分数と社会の原理」というモノローグを選んでパフォーマンスしました。 それぞれのパフォーマンスが終わった後、教授がおもむろに一言。 「今から、あなたたちの専属セラピスト名を告げます。」 ????? なんと、目の前で演じた役柄を「一人の患者」として捉え、その患者の専属のセラピストとして様々な見地からセラピーの進め方を探っていくとのこと。 マルガリーダ(としての私)のセラピストは、クラスメイトの一人、アターラ。 私のクライアントは、レジーナ(としてのアニー)です。 「ナオミのクライアントは誰?レジーナ?私のクライアントはハムレットよ。」 そんな会話が飛び交い、端から見ていると「?!」という感じだったかも〜 とにかく、セラピストとしての私は、クライアントとペアを組んでインタビューやセッションをしながら、DSM−5と言われる、精神疾患の分類と手引書を片手に診断書類を作成。 一方、クライアントとしての私は、マルガリーダの役柄でセラピストのセッションを受けながら診断されます。 昨日の授業では、セラピストして、患者の中に潜んでいるもの、どんな役柄が潜んでいるかを書き出し、それに基づいてスカルプティング(体で彫刻のように表現していく手法)で表していくことを行いました。 それが、セラピーセッションが進んでいくうちに、今学期どう変化していくのかを見ていくのも興味深いです。 来月には、マンハッタンの病院で行なわれているドラマセラピーの現場に、オブザーバーとして入ります。 様々なバックグラウンドを持った人々が集まるNY. いろんな視点と意識を持ちながら、私はどう深く人と関わっていけるドラマセラピストになれるだろう? 新しい出会いと体験を前に、ドキドキしている毎日です。
by Dorothy-Naomi
| 2017-02-19 05:31
| *Drama Therapy
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